自分の壺の中の大きな石とは?〜周りや他人を気にしてしまう場合の対処法〜
心の壺とは?
つい他人が気になってしまったり、比較してしまって落ち込んだりしてしまうことありますよね。
それは性格や育った環境以外に、本能的に他人が気になるということもあるかもしれません。
しかし、そればかりで心のスペースを締められてしまうと、メンタル的にとても息苦しくなってきます。
そんな時に私がいつも思い出すお話があります。それは心の壺を思い描くことです。
その壺の中に入っている大きな石は何だろう?と自問してみること。
「大きな石」とは、まさに自分の人生においてプライオリティや重要性が高いと思うことです。
このお話を既にご存知の方は読み飛ばしてください😁
まず壺に大きな石を入れる
壺があります。
そこに大きな石をいくつか入れて下さい。この下手くそなイラストには石がいっぱい入っていますが、3〜4個ぐらいの大きな石を入れるイメージでしょうか。
まずそれを想像してみて下さい。
まだ入るものはありますか?
上のイラストはもう石が入らないでしょうか? それとも入りますか?
見た感じだと、大きな石はこれ以上入らない感じです。
しかしある教授は言いました、「まだ砂が入りますよ。」
わかりにくいイラストですが、隙間にいっぱい砂が入れてあるイメージです。
サラサラサラ〜っとパンパンに入れちゃいました。
さらにまだ入るものはありますか?
さて、もう何も入りませんか? それとも入るでしょうか?
砂はもう入りそうにありませんね。
すると教授が言いました「まだ水が入ります。」
そしてそっと水を少しづつ入れていきました。
砂でいっぱいの中に水を湿らせていれたイメージです。
さて、ここで言いたいことは何かというと、
- 大きな石 → 自分が大切にしたり重要だと思っている優先順位が高いこと
- 砂や水 → 日々の雑事や些細な出来事、大きな石だと思っていること以外のこと。
これらを象徴的にあらわしています。
今回は最初に「大きな石」から入れました。
しかしそれとは逆に、「砂や水」から先に入れるとどうなるでしょう。
砂や水を先に入れると・・・
砂と水で既にいっぱいになった壺の中に、大きい石を入れることができるでしょうか?
できませんね😅
どういうことかというと、日々の雑事や些細なことに頭が囚われてしまうと、自分の人生で大切だと思っている事を心に入れるスペースすらなくなってしまうということです。
すごくわかりやすい例えです。
私はこれを初めて本で読んだとき、あまりのわかりやすさに感動しました。
人はすぐに何かに囚われてしまう
私は女性で子育て中ですので、あくまでその視点からですが、日々子育てしているといろんな雑事があります。
「雑事」と言いましたが、それは多岐にわたっているという意味で使っています。
- 日々の細かい家事
- 近所付き合い
- 幼稚園、学校でのお母さん関係
- 役員の活動
あくまで個人的なことを並べましたが、人によって違ってくるかもしれません。
中には仕事の人間関係などと思う方もいるでしょう。
私は主婦ですが、つい人と比べてしまう癖があるので、好きなことをしていても、「これでいいのだろうか?」「他の人はバリバリ仕事やパートをしているのに」などと思ってしまいます。
自分が主婦でいることを選んだのにです。
幼稚園などは人間関係が近いので、他の楽しそうに集まっているお母さんを見ては、「今のままの自分でいいのか?」と再び思いつめてしまったり。
しかし本当に自分がその中に入りたいかというと決してそうではない。
あくまでも自然に気のおけない人ができたらいいな、ぐらいの肩の力を抜いたスタンスのはずです。
それなのにそのことで必要以上に心が囚われるのことは、私にとってまさに些細な事。
そんな時はこの「心の壺」を思い浮かべるようにしています。
自分の大きな石は何だろうか? ということです。
大きな石は人それぞれ
大きな石は何ですか?
私は、家族(親兄弟も含めて)、健康、趣味、食生活、限られた気の合うお友達などです。
仕事や、友人、だと思う方も多いでしょう。
他には旅行、料理、スポーツもあるかもしれません。
モヤモヤするときは、まずは人生における「大きな石」を意識する。
あまり「砂や水」に囚われないように意識してみてはどうでしょうか。
意識してみないとつい「砂や水」で心がいっぱいになっていることがあります。
壺をイメージするだけで、ハッと心が楽になって今現在のことに集中できるようになるかもしれません😁
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