他者からの承認より、自分からの承認!
「承認欲求」って言葉があります。
私はここ数年意識している言葉なのですが、アドラーの本などに書いてあったりしますし、ずっと昔から使われている言葉なのでしょう。
自分は以前、承認欲求の塊だったということを自覚していなかったので、かなり苦しみました。
しかし、ここ最近はすごく楽になった。
急にではなくて少しづつ楽になって、あるときまたストン!と楽になった感じ。
ここでは、既に様々な体験談や本などで語られていることばかりですが、それを実践してみて確実に自分に効果があった方法をお話しします。
ストンと楽になったきっかけ
どういうことを心がけたかと言うと、ざっくりこんな感じ。
- 自分を褒める
- 自分が自分のいちばんの味方だと意識する
- もし他人だったら辛い時どう声をかけるか考える
- その言葉を自分に掛ける
簡単なことですすが、やろうとすると意外と難しいと感じる方もいると思います。
なぜそうしたかというと、自分は無意識にとても「自分に厳しい人」だったことに気付いたからです。
それって案外なかなか気付けなかったりします。
「私は自分に厳しいから」
そうやって自覚がある人もいますが、その逆にチャランポランだと思ってるけど実際はそうでもないよってパターンもあります。
そして、なぜ自分はこんなにモヤモヤと苦しいんだろう?と悩んでいると、根本は「自分に厳しい」という部分が大きいようでした。
他人に承認を求める
自分に厳しく、自分自身を認めていないのですから、認めてくれるのは他人しかいないということになります。
正確に言うと、他人に承認を求めるようになる。
例えば個人的な事例で言うと・・・
- 寂しい → 知り合いにすぐ連絡をとる
- 不安なことがある → 同上
- 日々の家事 → 自分ばっかりと不満が増える
- SNS → 閲覧数やいいねが全ての指標
- 子供の教育 → 他人の教育や、他人の子供と比べる
- 学校のボランティア → 本心はやりたくないのに引き受けてしまう
- ママ友の集まり → それほど興味ないのに参加する
- 旦那に対して → ゴロゴロ、パソコンばかりしてるとイライラする。
- 家族に対して → 自分と違う行動が、「どうして?」と理解できない
- 何もしていない時間 → ボーッとしていたり、遊んでばかりいないで働いたり、 何か生産性のあることをしないとダメと考える
これらは一部で、実際はもっとあると思います。
そして全て、「自分に厳しい」「他者の承認が欲しい」というところからきていると思います。
寂しい、不安なとき
寂しかったり、不安であれば、自分に「不安なんだよね、そうだよね。」「そんな時もあるよね」と、いちばんの理解者である自分自身が言ってあげればいい。
寂しい時も、友人の貴重な時間を奪ってまで一緒にいたり、話してもらわなくても大丈夫になりました。
もちろん親しい友人と過ごす時間はとても大切だと思いますが、なんでも頼るというのはどうかと思っています。
親しき仲にも礼儀あり、というか。
自分にも貴重な時間があるように、相手も同様にそうだということが理解できるようになりました。
日々の家事の不満
「これだけやってるんだから他人さん、認めてくれ!」ということ。
これに対しては、自分が自分自身に「よくやった〜、頑張ったね自分!」と逐一言ってあげることでだいぶ楽になりました。
他人はいちいちそこまで口に出して言ってくれません。
それを自分自身で言ってあげればいい。
1日の終わりに、お酒でも飲みながら「頑張った〜!」ってやってもいい。
結構効果あります。
SNSの閲覧数
これは営利目的でやってるならまた違うのかもしれませんが、私のようにパソコンをいじっているのが好き、趣味でやってるのであれば、閲覧数が1番の目的だと辛いときもあります。
以前はWord pressでブログを運営していたのですが、本当にアクセス数が少なくて毎日そればかり気にしていました。
Word press自体は、ブログの始め方やサーバーの借りかた、プラグインについてなどとても勉強になりましたので、決して無駄ではなかったです。
しかし、うまくいったら稼ぎたいぐらい!という気持ちでやっていました。
もちろんブログで稼ぐのを否定しているわけでは決してないです。
しかし現在はあくまで趣味、日記や備忘録の代わりでやっています。
現在はとても気軽なのですが、それは閲覧数ではなく、
「今日もひとつ書けた!」「よくやった」「これで記事がひとつ増えた」といった、あくまで過去の自分と比べるということにシフトしたからです。
もちろん閲覧数が増えたら嬉しいです。当たり前です😅
でもブログを続ける主眼が、「他人」ではなく「自分」に移っただけ。
家族に対してイライラ
これは旦那や子供たちに対して。
現在はそのイライラがすごく減って楽になりました。
それも同様、「自分が自分のいちばんの理解者になった」からだと思います。
理解者である自分なら、辛い時も、悲しい時も、頑張った時も側にいて励ましや慰め、労いの言葉をかけてあげれます。
そうしていくうちに、他人の行動に対しても「そういう時があるよね」「疲れるよね」と共感できるようになってきた。
以前は自分を認めてもいなかったですから、当然自分に厳しく、その厳しさを周りにも撒き散らしていました。
だから「どうしてそうなの?」「こんなに自分が頑張っているのに」という不満を、時にはキツく家族に当たるという形で発散させることもありました。
何もしていない時になんだか罪悪感
私は主婦ですので、家事の量は無限ですが、当日こなす量はある程度自分でコントロールできます。
ここは後日掃除しようなど、配分できる。
家事の後のコーヒーを飲んでほっとできる時間や、ソファに横になってボーッとする時間はとても大事です。
そして自分の趣味の時間とか。
しかし以前はそうしていても、どうしても「見えざる他人」が頭の中にあって勝手に比較している。
あのお母さんは働き始めた、このお母さんはフルタイムでバリバリやって家事も仕事も両立している・・・それに比べて私はゴロゴロ。
だからそんな私には引目も感じるし、小金も欲しいし、そろそろ働かなくては!
そんな感じ。
まあ大体パートなどを始めるきっかけって、そういうところがあると思うんです。
こんなことしてるんだったら、教育費稼いだ方がいいとか、もっと外と交流が欲しいなど。
もともと働くのが好きという人もいます。
しかしここで問題なのは、「ボーッとしている時間に罪悪感を感じる」や「他人と比べる」というところです。
家事をしているなら、休んだっていいんです。
「よく雑巾掛けしたな自分、お疲れ! は〜!」ってどすんとソファに横になっていい。
その時テレビ見たって、コーヒー飲んでボーッとしてるのもいい。
「よくやった!」って。
しかし、そのボーッとしている行為自体に罪悪感を感じたり、他人と比べていたということが自分を追い詰め、精神的に良くない💧
普通に考えて、自分の体を休めたり、好きなコーヒー飲めたり、テレビや趣味で気分転換できたりって素晴らしいことじゃないですか。
そういった時間ができたことを手放しで自分自身がまず喜んであげたらいいと思います。
ゆっくりできてよかったね、好きなことする時間持ててよかったねって。
それから、じゃあそろそろ働こうかって感じ。(働きたい人は)
ですから、家事などは休み時間とのバランスも大事かなあと。
あまりやらなすぎると、さすがにまずいですしね😅
そんなときに罪悪感を感じるのは普通です。
これらのこと以外に、他人の教育、ママ友付き合い、学校のボランティアなども私にとっては、自分が自分のいちばん理解者でないことが元になり、他人に承認をもとめていった結果だと思います。
いくら自分に厳しいって、それ自体が悪いことなのか良いこのなのかはわかりません。
承認欲求って人間の本能みたいなもののような気がする。
でも思うことは、厳しいいだけじゃそのうち心のバランスが保てなくなるのでは、ということです。
どんなに自分に厳しい人も、きっと無意識にどこかでバランスとってるんじゃないかな。
それと、「自分に厳しい」と「自分が自分の理解者ではないかもしれない」ということはわけて考えてもいいのではないでしょうか。
自分に厳しいイコール、自分が嫌い、受け入れていないということでは必ずしもない。
大きなことを達成するときなんて、どうしても自分に厳しくないと為し得られないかもしれません。
でも一方、他のことではダメダメだったり気を抜くことでバランスをとったり、そういう自分を許してあげていたり。
ただ、その2つがイコールになると私のように精神的に苦しくなってくる場合もあると、私のまだまだ浅い経験から感じています。
承認欲求と自己肯定感はつながっているんだろうな。